らくだぞうblog:《エッセイ》中村陽子
このごろ、朝起きたときに涙が止めどなく溢れてしまい気持ちが高ぶることがあります。こらえ切れなくて「痛いーよォ、痛いよォ」と何度も叫んだり、泣いてしまい自ら驚くような行動をしています。誰もいないから出来ることですが、動きの悪い身体が悲しくて我慢しきれないで、孤独に陥ることがあります。よく考えるとこれまでの人生の変わり目はいずれも自らが決めなければならなかったことが悔いはないとはいえ、何故か寂しくも感じます。これが運命というものでしょう。しかし、生活に関わる人でも「他人事」のようにみられると、痛みや苦しみは異なり最近では周囲に伝える余裕さえもありません。なぜスミソニアンは建てられましたcursor='hand'" />
3月に入り、初めて小平市の国立病院の神経内科を受診しました。若さの残る感じのよい明るい医師で初診であったためか1時間ほど話を聞いてくれました。どのような古い障碍であろうと脊髄のマヒの残った抹消神経の痛みは筋肉緩和剤の薬がいろいろとあるので、焦らず身体に合う薬を見つけてみましょうと言われたことがとても心強く感じられました。
身体の後退と共に医者との関わり方は次第に多くなりました。昔から「3分診療」とか言われていますが、ある医者は「それは相性の問題だ」という、現在の社会と同じようにどんなに今の毎日を積み上げて生きて来ても自らの身体の現実や変化は事前には判るものではありません。
腹部の膨満感と痙攣によるお腹の痛みが動くと息切れがしてしまいます。原因として考えられることは長年に渡り車イスに座ったままの姿勢で過ごしてきたために身体の歪みと沈みが悲鳴をあげて痛みとして現れてしまったのです。3-1-3-3サッカー形成を再生する方法cursor='hand'" />
特に近年は自動車の運転も乗り降りが出来なくなり辞めてから、その影響は大となりました。今では車いすを操作して独りで買い物へもいけなくなってしまいました。仕事で相当無理した時期もありました。痛みの多少の差はあっても、ときどき閉塞感に耐えられなくなって、いつときであろうと身体の緊張感が解かれて痛みが無くなった時には心の平和を取り戻し解放された気分になります。癒される心地よさを感じながら過ごせることは感謝そのものです。もう駄目かも・・・と思いながら少しでもよくなりたいと先へと希望をつないでいます。emai CORRを見つける方法cursor='hand'" />
壁に突き当たると何でもよいと言われるものは「神をもすがる思いで」漢方薬、マッサージ、整体、鍼灸などさまざまな治療を試み、最終的には東洋医学に頼るようになりました。ともすれば西洋医学の光と影を見たような思いでいます。年齢の積み重ねの経過に伴い、最近は周りには羨ましがられることもある、いつの間にか、子供のような若い先生方に励まされては治療を受けています。なかなかと明快な成果は出ませんが、最終的には在宅ではリハビリ訓練以外は6月末から鍼灸治療をしばらく専念することになりました。肩の凝りも楽になりお腹の真ん中に脈を取りながら鍼と灸を5箇所、ツボを変えながら治療をします。最初に藻草が燃えて煙が立ち込めて、其の後からじっくりと熱くお腹の中に暖かさが浸透していきます。気持 ち良いというかお腹の芯から温まることは大切なことだと感じています。腸がグルッと動きガスが治療中でも出ることがあります。確かに腸の動きは活発になっていると思っていますが、ガスの蓄積と排出することが上手にできないでいます。7月中は周に3回、8月になると回数を増やして集中的に治療をする予定でいます。
七夕の短冊に「お腹が少しでもよくなりますように」と願い事を書いて、姪と出かけた六本木のミットタゥンの短冊に託して、後でこの七夕は福岡県小郡市の七夕神社に収められるそうです。七夕を思うとき、あの愛しい人との出会いから47年前のこの日であったことを懐かしく思い出されます。何も考えずに感受性の強く幸せのかたまりであったころを思い出すだけでその瞬間の時間にいつでも戻れるときの愛しさ、永遠の人は星となって遠くから見守っていてくれています。
心の器は溢れそうな感情、喜び、怒り、諦め、そして、また、希望との繰り返しでいます。生きるということは諦めてばかり居てはいられません。何か選います。さまざまな過な程の中でそれぞれ出会った人々の影響を受けて多くの悲哀を感じ、どうすることも出来ない現実を受け止めています。
何よりも勇気をもらい心の支えになって来られた、共に出会う障碍を持つ人々の明るく生きる社会参加の生きざまに接して「負けられない・・・」と常に生きる目的として生活をして来ました。多少の無理を押し通してもいつも前進あるのみの如く、何かに動かされて今日まで生きてこられたことが奇跡のようです。cursor='hand'" />
5~6年に亡くなった、障碍の持つ13歳年上のNHさんとは共に仕事をしたこともある縁のある人でしたが、彼女が50歳を過ぎたころから「私の年齢になってみなさい。大変さが分かるから・・・」と身体の変化を言われ続けて20数年が経ました。彼女が言っていた言葉が身に染みて亡くなってからの身体の衰えに心細さや心の痛みを身近に感じたものです。
普通に生きるというのは難しいことです。よく、考えて見ると誰にでも紆余曲折に重度でも明るく生きているいろんな障碍を持ち生きている人々の人生そのものが目標として。「あんなに頑張っているのに負けられない・・・」という姿に出会うと、励まされて、そして、負けてはいられない人生の神さまのような存在に動かされて、生かされている我が身がいて、年代の歴史を経ていつの間にか年月が過ぎて歳を取りましたが、常に共存し多くの人々に支えられて来ました。遠い過去のことでも昨日のことのように感じています。思い出のアルバムも見たり開いたりする度にその頃の出来事、いろんな人々を思い、沢山の思い出にとても感謝をしています。そして、苦しい中、凝りることなく動けるうちには出かけようと外出を試み� �いる今日の日々なのです。我が人生の最終の章を歩んでいるこの頃です。
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